たまりば

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風の便り

ほどよく乱れた演奏っていうのはものすごい色気を発散する。
でもそれは「あ、この人、乱れそうだな」ていうのが最初からぷんぷん伝わって、やっぱり乱れるとか、そういうんじゃなくて。
「この人、絶対に乱れそうにないな・・・・」っていうのが最初にあって、それでいて、思いがけない瞬間に思いがけない風情で乱れるっていうのが、いい。
演奏ってそういうところがある。
やっぱり色彩感。
もっと直接的に言うと、「色気」。

美しさにはいろいろな美しさがあるはず。
教えやすいのは「きちんとした」美しさ。
これはとりあえず「きちんとした」感じが表現されていれば先生としては及第点を上げられるから。
でも、これ、もしかしたら表現の本質とはかけはなれたことなんじゃないだろうか。
とりあえずきちんとした音を出す、とか、きちんとした演奏をすること自体そんなに簡単じゃない。
何よりも演奏技術そのものがある程度、出来上がっていることが必要で、そのためにはある程度の期間、基礎的な練習を継続していることが最低条件。
でもそれは最低の条件であって、その人らしい表現というのはそこからが始まりだ。
どこをどうやって「乱れる」のか、という点を教えるのは難しい。
というか、もしかしたら不可能かも。
なぜならば演奏の本質的なところというのはまさにそのあたりにあるから。
ただひたすら真似してもらうようなそんなレッスンもあるかもしれないけれど、それは少なくとも楽譜に書いてある情報を自分のチカラで読み取るという点からほど遠い在り方だ。
もちろんお稽古事としてのレッスンもあって良いんだろうとは思う。
でも、お稽古事としてのレッスンだけではなく、その人がその人のチカラで将来的には自立した演奏者としてやってゆけるためのレッスンみたいなものもあって良いはずなんだ。
で、一番、大切なところは教えられない。
というか、大切なところに迫るための方法は教えられるし、伝えられる。
でも大切なところは自分自身で見つけなきゃいけない。
表面的な真似事みたいなことが不必要ということではない。
ある段階まではそれは有効に働くことだ。
でもそれはいつかは脱却しなければならないんだと思う。
演奏ってそういうことなんじゃないかと思う。
もっともっと大事なこと、それは自分自身で感じて、自分自身で考えるっていうこと。
多分、そういうことなんじゃないだろうか。

風の便り

世界的ブロックフレーテ奏者、吉嶺史晴さんの言葉を抜粋したものです。
実は御縁があって、だいぶ幼少の頃の私を知ってくれている御方です。

おこがましい限りですが、常々こんな事を考えながら私も私の表現を行っています。
もしかしたら「いいか悪いか」の判断も、全てここでしています。
振り切って振り切って振り切って。振り切った先の自分で舞台に立ちたい。
振り切って振り切って振り切って。振り切った先に唯一の美しさを持っている人がやっぱり好きだ。

以前、吉嶺さんがリコーダーで吹いた「風」が、また聴きたいなぁ。
今、吉嶺さんの声に触れることが出来て良かったです。
ありがとうございます。
風の便り

追記:次回公演の役が決まり、スイッチが入りました。
もう、稽古がハードで、ぜえぜえしてます。
人数多くて(皆さん若くて!)キョロキョロしてます。
大人数の舞台で半数の人が知らない人だと、こんなにも緊張して人見知りになるんだなぁ…。こりゃ、新一年生の息子の心境と然程変わり無いだろう(笑)



  • 2015年04月14日 Posted byIKUMI at 09:47 │Comments(0)日常voice稽古告知

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