たまりば

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父と暮らせば

ヒロシマ、ナガサキの話をすると、「いつまでも被害者意識にとらわれていてはいけない。あのころの日本人はアジアにたいしては加害者でもあったのだから」と云う人たちがふえてきた。たしかに後半の意見は当たっている。アジア全域で日本人は加害者だった。
しかし、前半の意見にたいしては、あくまで「否!」と言いつづける。あの二個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりでなく、人間の存在全体に落とされたものだと考えるからである。あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。だから被害者意識からではなく、世界五十四億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書きおえたときに終わるだろう。この作品はそのシリーズの第一作である。どうか御覧になってください。
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来月、本番を迎える「父と暮らせば」で書かれている前口上です。
私自身、井上ひさしさんの作品に取り組むのは21年ぶりで、あの頃は「マンザナわが町」という作品で、強制収容所内を生きる日系アメリカ人歌手の役を演じていました。
その後「谷間の女たち」「二十四の瞳」「泰山木の木下で」と戦争ものの舞台への出演が続き、若き頃の自分がのたうちまわりながら苦労した役作りの期間を、今になって思い出している訳ですが…
人一人を演じる責任の重さ、メッセンジャーとしての認識の甘さを嫌という程思い知らされたあの頃、ただただ必死だったあの頃に、恐らく、この前口上を私は読んでいて、この文章は、今日までの舞台人としての自分が殊更に追いかける遺志となっている。

よく言う「演劇は人間成長の場ではない。観に来て下さるお客様のものだ」という当たり前の考え方も、実はこの根本精神から成り立っていて、この考え方を頑固にさせているのも、この前口上です。
何かを伝えたいと思った時、私達は人々の時間をいただいて語ったり、歌ったり、踊ったりをしている事を忘れてはいけない。
頑張るだけでは駄目。気持ちいいだけでは駄目。確実に現場にいる人の心を豊かにするという約束の上で上演しなければ、宣伝などしてはいけないのです。

馬鹿にされました。
嫉妬もされました。
もう、わけわからん攻撃にも合いました。
未熟な私は、その都度で怒りながら生きてきました。

それでも今日という日、年齢ばかり大人になり、闘う事を放置していた今時期。
この様な気持ちを呼び起こす作品にみたび出会えた事に感謝しています。
そして、手前味噌になりますが、自分の構築力を信じ全力を注ぎたい。

「父と暮らせば」は12月にもお話がある様で、続けられるものならばいっそ死ぬまで演じ続けたい役なのですが、そちらは、onepuckの俳優、當瀬いつみに受け渡そうと思っています。彼女なら、私とは別の感性で、がむしゃらに美津江役にくらいついて行くと思いますし、次世代へのバトンタッチも、また、私の役目だと考えるからです。

ありがたい事に、11月「父と暮らせば」2月「学校公演・虫侍」5月「虫侍・再演」/「青踏の女たち」と4本の舞台が決まっています。
全て素晴らしい作品で、全ての役柄が今回はバラバラ(笑)
命を吹き込むべく。
丁寧に。
まずは父と暮らせば!!
父と暮らせば
「父と暮らせば」井上ひさし・新潮文庫
父と暮らせば
「父と暮らせば」映画・作品情報→https://eiga.com/movie/41040/
父と暮らせば
「青踏の女たち」で演じる田村俊子。Wikipedia→https://ja.wikipedia.org/wiki/田村俊子
父と暮らせば
2004年「泰山木の木の下で」髪を垂らした女役(頬にケロイドを持つ娼婦)
父と暮らせば
2006年「二十四の瞳」大石久子役(第二次世界大戦に突入した昭和初期。戦前、戦後を生きた女教師)



  • 2019年10月27日 Posted byi at 12:20 │日常voice稽古告知